空を行こう 〜 ミュンヘン駐在編 〜

空を行こう 〜 ミュンヘン駐在編 〜

海外生活2カ国6年目。いろんな国を訪問し、いろんな経験をして、いろんな人と出会いたい。そんな想いを募らせるうち、いつの間にかここに至りました。本ブログでは、米MBA留学及びその後の海外経験を中心に記載しています。

【訪問国1:トルコ】ハイパーインフレ / 働く子供たち / 民族間衝突

結局何ヶ国訪問したのかよく分からなくなったため、パスポートの履歴を見ながら順番に振り返ってみたいと思う。まずは初めての海外旅行となったトルコから。

大学の研究室の友人Sに誘われて行くことになった初めての海外旅行・トルコ3週間放浪の旅。当時、「同じ20万円を使うならパソコンを買ったほうがいい」と思っていた僕だったが、結果「日本に留まっていてはダメだ、世界を見ないといけない」と人生を変えてくれる旅となった。3週間本当に色々あったが、特に衝撃を受けた次の3つを記載しておきたい。

f:id:goakashi:20200815190503j:plain

ハイパーインフレ:3週間でホットチョコレートの値段が2倍に!

1998年12月。深夜に到着したイスタンブール空港はいわゆるイスラム系のおじさん達であふれかえっていた。翌日の友人Sとの待ち合わせまで半日強この空港で過ごす必要があったが、見知らぬ人種、分からない言葉、見慣れぬ雰囲気に圧倒され、不安がMaxだったことを覚えている。とにかく寝る場所を探さなくてはと、空港内のカフェに入りホットチョコレートを注文し、4人ボックス席を陣取って荷物を抱きかかえて寝ることになる。

その時買ったホットチョコレートは70万トルコリラ(250円程度)だった。そもそも交換したお金は、最小金額のお札でも1万トルコリラであり、過去にどれだけ貨幣価値が毀損してきたかがわかる(2005年の通貨切り下げで100万トルコリラが1新トルコリラに)。そして3週間後の帰国前にも同じ空港カフェでホットチョコレートを頼んだのだが、なんと140万トルコリラと倍の金額に変わっていた

旅行中、店員から「米ドルで支払えない?」とよく聞かれ、その時は何を意味しているのかわからなかったが、トルコリラを持っていても価値がどんどん減っていくので、現地人は米ドルを要求していたのだな、とその時初めて気づいたのだった。

②働く子供たち:生活のために営業する子供たち

3週間でイスタンブールからブルサ、イズミル、エフェス、パムッカレ、カッパドキアと巡り、最後にまたイスタンブールに戻るという旅となった。長距離バスや宿などは都度探していくバックパッカー的スタイルでとてもエキサイティングだったことを覚えている。

訪問する先々で日本語で話しかけてくるトルコ人が多いのには驚いた。日本人観光客向けに商売するため日本語を覚えているのだという、なんとも勉強熱心なものだと感心した。イスタンブールではそこまで目にすることはなかったが、地方の都市では未就学児が声をかけてきて「絵葉書を買ってくれないか」「チャイを飲んで行かないか」とよく営業を受けることとなった。お金の価値も理解していない子供達が無邪気な笑顔で親の仕事の営業を手伝う、それが地方都市の日常であることに驚いた。

③民族間衝突:街中で怒鳴りあうトルコ人クルド人

イスタンブールで会ったあるトルコ人学生と仲良くなった。なんでも「日本語を勉強したいから一緒にいたいので街を案内するよ」とのことで、当時はそんなものかとあまり深く考えず着いていったのだった。

街中でよく怒鳴りあっている大人たちを不思議に思った僕は、彼になんでよく喧嘩しているのかと聞いた。トルコにはクルド人という民族もいて昔からいざこざが絶えない、何かにつけてトルコ人にいちゃもんをつけてくるのでよく喧嘩になる、と彼が教えてくれた。多民族国家とはこういうものかと思うのと同時に、日本人と在日朝鮮人の関係性を改めて考えるきっかけにもなったことを覚えている。

3年前から僕はドイツ・ミュンヘンに住んでおり、今更ながらEUのことを勉強しているのだが、トルコは2005年にEUへ正式加盟申請しながら未だに認められていないという現実がある。「池上彰の世界の見方 ドイツとEU~理想と現実のギャップ~」によると、根本的にはEUキリスト教国家の集まりでありイスラム教国家のトルコを加盟させたくないと考え、いろんな難癖をつけて許可していないらしい。その理由(難癖)の一つに、少数派クルド人迫害問題が挙げられているということには驚いた。当時から20数年間経ったわけだが、長い歴史の中で形成されてきた民族間の関係を変えるのは難しく、トルコのEU加盟もまだまだ先だろうなぁ、と思わずにはいられなかった。 

池上彰の世界の見方 ドイツとEU: 理想と現実のギャップ
 

最後に

偶然訪れることとなったトルコ。もしこの旅行がなければ僕は今でも日本国内に留まり続け、英語も勉強せず、視野も狭いままだったかもしれない、と思うとゾッとする。誘ってくれた友人Sには感謝しかない。30ヶ国程度訪問した今でも、この旅行が間違いなく人生に一番影響を与えた旅行だったと言える。またいつか再訪してその発展を見てみたいと思っている。

 

現在、過去を振り返って訪問国を確認中。トルコの次に訪れた国はタイでした!

skygo.hatenablog.com