【訪問国13:シンガポール】会社がPEに買収され事業開発と駐在の夢が一瞬で潰える話
2012年から2014年までほぼ毎月のように出張し、東南アジアのネットワークインフラ事業開発に明け暮れていました。最終的には会社がPEに買収されたことで僕の活動全てが凍結となり、夢も希望も一瞬で潰える結果に。ここでは、入出国回数が最多20回、滞在日数3位となったシンガポールでの、そんな苦い思い出について記載しています。
目次
- 事業開発に明け暮れ、シンガポール駐在に思いを馳せる日々
- ベンチャー開拓にも力を注ぎ、人的ネットワークも拡大
- 会社がPEに買収され、夢は一瞬で潰える
- (おまけ)シンガポール出張中のトラブル
- (おまけ)日々の思い出:バス・地下鉄 / ロングバー / チャイムス など
事業開発に明け暮れ、シンガポール駐在に思いを馳せる日々
もう7, 8年も前のことです。前職で、東南アジアのインターネットトラフィック爆発を機会と捉え、会社の同僚とネットワークインフラ関連の社内新規事業を立ち上げました。詳細は書けませんが、シンガポールに新会社を設立し、自ら経営に関与する傍ら、東南アジアを飛び回り顧客開拓を行うなど多忙を極めていました。
一方でそれはとても楽しい時間でもありました。自ら立ち上げたプロジェクトがどんどん成長し、人も予算も増えて社内外からの期待も膨らんでいく。そして何よりも、勝手ながら、東南アジアの経済発展に貢献するんだという使命感に燃えていたため、熱量が半端ありませんでした。
(橋下さんのいう「完全燃焼」に向かっていたのは間違いありません🔥)
ほぼ毎月出張し、月の半分をシンガポールかジャカルタで過ごす2年間。会社の都合でなかなか駐在できませんでしたが
いつか家族帯同でシンガポールに駐在する!
と、住む場所や娘が通う学校などを調べ、駐在生活の下準備をしていました。
シンガポール国立大学(NUS)周辺が以下写真のように緑も多く比較的のんびりした雰囲気。以前住んでいた米国クレアモント市の雰囲気に近いこともあり、このあたりに住む目論見でした。
観光は全て家族を連れてきてから!と、休日も観光らしい観光はほとんどしていません。覚えているのは、マリーナベイ・サンズに一応登ったことと、休日セントーサ島のビーチ🏝に何度か行って、ビールを飲みながら残務をこなしていたことくらいでしょうか。
ベンチャー開拓にも力を注ぎ、人的ネットワークも拡大
新規事業の拡大と合わせて、東南アジアのベンチャー開拓にも力を入れていました。
当時はちょうど、東南アジアのスタートアップハブ的役割を担うシンガポールに、世界各国から投資が集まってきたタイミング。ベンチャーキャピタルを兼務する僕は、資本業務提携も画策し奔走します。
日本の既存事業や僕の新規事業と組めそうなテクノロジーを持ったベンチャーの方々、そしてそれを支援する政府やベンチャーキャピタルの方々など本当にいろんな方々とお会いさせて頂きました。お陰で、投資を絡めた事業拡大構想も徐々に固めていくことができました。
会社がPEに買収され、夢は一瞬で潰える
そんな中、夢は一瞬で潰えました。僕の会社がプライベートエクイティ (PE) に買収されたのです。
PEとは、買収した会社を数年かけてお化粧し直し、他の事業者に高値で売却して利益を得る会社。PEから見たら「新規事業」や「投資」と名のつく足の長いプロジェクトは不確実性の塊に映ります。僕の事業開発自体は順調だったにも関わらず、当然と言わんばかりに「凍結」との判断が下されました。
こればかりはどうしようもありませんでした。リスクの無い新規事業なんてものは存在しないからです。支援を続けてくれていた経営層も新株主の方針には逆らえず、僕らは已む無く東南アジアから撤退することになりました・・・
時々このように思います。
- もしPEでなく、最終ビッドまで残っていた他の商社系の会社がビッドに勝っていたら、僕は家族とシンガポールに住みその事業を牽引していたのかもしれない。
- でも、そうするとリクルートへ転職することもなければ、ミュンヘンに家族と来ることもなかったのか?
あの時はこれ以上ない悔しさや無力感で一杯だったのに、結果として、今僕は家族とここで幸せに暮らし、新たなチャレンジができている・・・。運命とは本当に不思議なものです。
ただ一つ言えることは、当時、僕の全エネルギーを投下していたので後悔は全く無いということです。橋下さんの「結果ではなく完全燃焼したかが重要」という話を聴いていてこのことを思い出しました。
その後リクルートに転職してからも東南アジアのプロジェクトにだいぶ関わらせて頂きました。お陰で当時お世話になった人たちとつながりを保つことができたのは幸いでした。最近少しご無沙汰ではありますが、このつながりは今後も大事にしていきたいと思っています。
(おまけ)シンガポール出張中のトラブル
他の東南アジア諸国と比べると、シンガポールは断然安心感があります。言うなれば、日本と同様の考え方でいても、概ね何が起こるか予測できるのがシンガポールではないかと。例えばシンガポールではタクシーに行き先を伝えれば、メーターが正確にまわり適切な道で目的地に向かってくれるので、僕が疲れている時にはうたたねも可能です。一方、ジャカルタでは、目的地に正しく向かっているかをGoogle Mapで確認し、おかしな料金を言われないようにメーターを確認する必要があり、全く気が抜けません。ですので、いつも周辺国からシンガポールに戻ってくるとホッと安らぐ気がしました。ただ、そんなシンガポールでも一度だけトラブルに遭遇したことがあります。
ハイウェイでタクシーがパンクしたのです。
実はその日、シンガポール航空の深夜便で帰国予定だったのですが、425分遅延すると連絡を受けていました。要は朝まで飛ばなかったわけです。ただ、シンガポール航空と交渉してホテルを獲得する必要があり、チャンギ空港に向かっていた時のことでした。
何やらタクシーを路肩に寄せて停まる運転手さん。何でもパンクしたとのことで、ロードサービスに電話する必要があるとのことです。「車内カメラであなたたちは見えている、安心してください」と言われ、さすが監視国家シンガポール!と思ったものの、追突される危険に身を強ばらせながら待つ15分は結構恐怖でした。今から思えば無理にでもタクシーを降りて路肩のさらに奥に移動するべきでした。
ようやくロードサービスが到着し安堵したのも束の間、タクシーに乗ったままレッカー移動されることに💧 さらに15分くらいかけて辿り着いた下道の真っ暗なサービスステーションで降ろされたことを覚えています。幸い別のタクシーが通り拾ってくれたためことなきを得ましたが、まだタクシーアプリも使いこなせていなかった頃なので夜間の田舎道で立ち往生していたらと思うと怖い経験でした。
空港に到着して、シンガポール航空から宿泊ホテルを勝ち取るまでも時間を要しました。残っているエネルギーを全て失ったように思います。
その後、タクシーで中心地までとんぼ返り。翌朝便だったので仮眠をとり3時間後にまた空港に向かってタクシーに乗っている自分がいました。(諦めて空港の椅子で寝たほうが良かったのかも!?)
無事帰国できたものの週末はずっと寝ていたように思います。
(おまけ)日々の思い出:バス・地下鉄 / ロングバー / チャイムス など
世界のどの都市に行っても、少しでも多く現地に触れるため地下鉄やバスを使いたいものです。
ただシンガポールのバスは難易度が高かった…支払い周りはEZ-linkカードを持っていれば問題ないのですが、問題は目的の停留所で降りること💧 バス内では停留所を全くアナウンスしてくれないのでアプリとずっと睨めっこする必要がありました。それでも、片方向しか停車しない停留所もあって希望の停留所がスキップされることもありよく失敗していました…
当時開通したばかりの地下鉄 Downtown Lineは大江戸線と同レベルの地下7階。その後42階のオフィスへエレベーターへ移動すると計49階上方移動、といった具合。土地が狭いシンガポールでは、空間の有効活用に垂直拡大が必要ですものね。インドネシアから土を購入し、少しずつ土地を広げるという涙ぐましい努力もしているようです。
チャイムスは綺麗ですし待ち合わせなどにも使い易いこともあり、何度も食事しました。
いつもホテルはオーチャード通り。どこに行くにも移動が楽、特に僕らのオフィスがバスで一本だったので。
いつか日本に帰った後、今度こそ家族を観光でシンガポールに連れて行きたいと思います。やっぱりマリーナベイ・サンズに家族で泊まって56階の天空プールから夜景を見てみたい。あとは、ガーデンバイザベイ、セントーサ島、ユニバーサルスタジオ・シンガポール…etc. 楽しみです〜