空を行こう 〜 ミュンヘン駐在編 〜

空を行こう 〜 ミュンヘン駐在編 〜

海外生活2カ国6年目。いろんな国を訪問し、いろんな経験をして、いろんな人と出会いたい。そんな想いを募らせるうち、いつの間にかここに至りました。本ブログでは、米MBA留学及びその後の海外経験を中心に記載しています。

【訪問国3:中国】内モンゴル/ 万里の長城/ 北京/ 上海/ リニア

出国3日前までモンゴル国に行くつもりでしたが、気づいたら中国・内モンゴル自治区に旅立っていました。それでも北京からの長距離列車の旅、内モンゴルで見た星空・大自然、そして昔から憧れていた万里の長城訪問、と忘れられない旅となりました。後半には、その後出張で訪れた上海、蘇州およびその苦い思い出についても触れています。

目次

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内モンゴル自治区:フフホト市内観光と大草原でのパオ宿泊

1999年8月。高校時代からの友人Oにモンゴルに行って馬に乗らないかと誘われ二つ返事でOKをした。当時修士論文の執筆に多忙を極めていた僕は、申し訳ないけど彼に旅行の手配を全て任せることとし、言われるがままに旅行代金も振り込んだ。そして出発3日前、そろそろ準備をしないととツアー詳細を聞いたところ、なんでも「中国の内モンゴル自治区」だという。いや、本当のモンゴル国に行きたかったんだけど・・・え、ほとんど変わらないようだし金額が圧倒的に安い❓まいっか・・・💧

 

北京から内モンゴル自治区のフフホト市まで、寝台電車で約10時間かかった。2段ベッドが向き合う4人用コンパートメントの上下を僕と友人Oは使い、向かいには帰省するのか旅行するのかよくわからない中国のおじさん達がいた。今から考えるとかなり不用心だが、荷物を置きっ放しにして少し離れて静かな場所で、窓からずっと夜景を見ていたのを覚えている。

 

一応現地ガイドのいるツアーだった。フフホト市内観光は食事で肉まんのようなものを口にした以外に何も覚えていない・・・きっとすぐにバスで草原に移動したのだろう。いくつかのパオが集まるキャンプ地のような場所につき、その一つのパオで2泊した。シャワーはあったが、空気が乾燥していたためシャワーを浴びる必要が全くなかった。馬・牛・羊が観光客の数程度いるくらいで、あとは見渡す限りの大草原、ということで、乗馬、食事、そして夜に星を見ることしかなかったことを覚えている。ただ星空🌠は言葉を失うくらいに綺麗だった。

(約10年後に訪れることになるグランドキャニオンの星空🌌と並ぶくらい感動的)

skygo.hatenablog.com

 

万里の長城匈奴から国を守る要塞が壮大すぎ

たぶん男坂を登ったと思うが、その行き止まりから眺める景色は、山間を巡りどこまでも続くように見える長城がとても壮大だった。紀元前の春秋戦国時代から建設が始まったとされている長城。匈奴から国を守る必要があったとはいえ、ここまでやるか❓というレベルだ。各時代における皇帝が自身の権力を誇示する意味もあって建設が続いたのかもしれない。

登り口付近で三国志人形セットをお土産に購入。三国志ファンとしてはこれが一番の収穫かもしれない🙌。(魏の時代には長城防衛はあまり行われなかったらしいが:万里の長城 - Wikipedia

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北京市内観光:太極拳をする高齢者の方々

北京市内では、故宮、天壇公園、天安門広場などを訪れた。ただ残念ながら脳裏に焼き付いているのは、朝の公園で太極拳をする高齢者の方々、そして大きな道から一本外れて裏道に入ったら嗅ぐことになる刺激臭のみだ・・・。

 

上海から蘇州へ:環境汚染・秩序なき人々・リニア試乗・早く帰りたい・・・

11年後の2010年8月、上海と蘇州を出張で訪れることとなる。あるデバイスを蘇州のある会社に作らせるために工場視察・交渉をすることとなった。上海の虹橋(ホンチャオ)国際空港に到着し、浦東(プードン)国際空港から出国するというルート。

虹橋空港を出ると空気が日本のそれと明らかに違う。なんというか空気が重い、臭う。息苦しさを感じながらタクシーに乗り込みホテルに向かうも、上海でのタクシーの運転はとても怖いものだった。車線はあって無いようなもの。ウィンカーなど出さずにぐいぐい左右に動くうえ、周囲はクラクションを鳴らしっぱなし。とてもじゃないがこんなところは運転できない。そして「早く仕事を終えて日本に帰ろう」といきなり思ったものだ。

上海から蘇州へ向かう新幹線にも良い思い出はない。上海駅ホームでは新幹線の車両入り口に向かって人が並ぶわけでもなく、ホームに新幹線が入ってくるや人が群がり、人を押し分け乗り込もうとする人しかいない。うーん、早く帰ろう。

唯一良かったのは上海浦東国際空港に向かうリニアだ。時速がどんどん上がっていき、社内掲示が時速400kmを超えた時には皆で湧き上がる。かなり爽快だった。でも安全だったのだろうか❓と後で怖くなったのも事実💧

 

最後に

その後仕事で中国を訪れようと思えば幾度か機会はあったが、残念ながらこの上海・蘇州での苦い思い出が、足を遠ざけさせることとなった。彼此9年経ったわけだが、果たして今はどうだろうか。

以下エントリでも近い思いをしたことを思い出したので貼っておこうと思う。