空を行こう 〜 ミュンヘン駐在編 〜

空を行こう 〜 ミュンヘン駐在編 〜

海外生活2カ国6年目。いろんな国を訪問し、いろんな経験をして、いろんな人と出会いたい。そんな想いを募らせるうち、いつの間にかここに至りました。本ブログでは、米MBA留学及びその後の海外経験を中心に記載しています。

祝・渡米1周年!

 今日でちょうど渡米1年が経過。 早いもので留学生活も折り返し地点に来たことになる。 この一年でどれだけ成長できたのかは分からないけど、外から日本やうちの会社を見れたことや、国籍問わない多くの友人とまじめにも冗談でも意見を交わせたことアメリカでの生活がある程度日常化したことなどは、大きな収穫なんじゃないかなあと思う。日本で働き続けてたらまず出来なかったことだしね。 会社派遣で渡米しているものとして発言するなら次のような感じかなあ・・・

  • 外から見る
    MBAの授業でグローバルスタンダードの理論、思考プロセスに触れているおかげで、うちの会社に内在する凝り固まったプロセス、価値観、文化を冷静な目で見ることができるようになっている気がする。間違っても、会社に根付いているそれらを簡単に変えることができるようになったとは言わないが、少なくとも自分の手の届く範囲では冷静な判断の元、正しいと思うことを試みれるんじゃないかな。
  • 多国籍チーム
    言語もバックグラウンドも価値観も異なる人々とチームメイトとして一つのことをやり遂げることを経験できているのは本当に価値が大きい。会社にもいろんな人がいるとは言え、曲がりなりにも同じ目的に向かう人々と日本語で議論することができる訳で、なんとも幸せな環境に見えてきたのは事実だ。 また、今はまだ国が限られるが、気心知れた友人が世界に散らばっているということは、メール一本でその国の事情を聞けたり、関係するツテを辿れたりすることも意味する。お互いにとってプライベートでも仕事でも非常に意義の大きい関係だと思う。
  • アメリカ生活の日常化
    日本と全く異なる生活に馴染むのは結構辛く、子供の頃転勤族だった私でもストレスフルな日が続いた。言語だけの問題ではない。国までもが違うと自身の日々の行動に対する人々の反応が予測できない部分が大きいのだー(下記おまけも参照)。でもこれを経験することで今までの自分が如何に日本の中で育てたスキーマに頼って行動していたかが理解でき、新たな刺激で脳が再活性化され(先輩の言葉を借りるなら)自身の思考の枠組みが広がった、もしくは一部崩れた気がする。あと一年もここにいれば、日本に帰って例え事業で何が起こっても、そういうこともあるわいと広く受け入れ、柔軟に対処できる度量が見につくのではと勝手に思っている。
  • あと思いついたら書き加えよう・・・

上記を書いているうちに、これらのことは私がMBAの社内選考で人事に言ってたことに近いのに気づいた。彼らには最終面接で「何で日本の夜間MBAじゃダメなんだ?何で社内のMBA研修プログラムじゃダメなんだ?」ときつーく言われたものだった。そのとき私は上記のことを自分が期待するままに言い放ち、「得るものは知識だけじゃないんです!」と若さ任せに言ったものだった。得れるかどうかなんてそんなこと現地に行ってみないと分かるはずもない、全ては期待だったんだけどさ。あはは。。

今はまだ折り返し地点。自身の人事への発言がウソにならないよう、そう、自身が期待していたものが得れるよう、このままあと一年、積極的に何でも経験し、多くを吸収していこうと思う。勉強だけじゃダメなんだよ。

最後に、この一年間全てが新しい世界で一緒に苦しみ、そしてそれを楽しんでくれた家族に感謝したい。 彼女たち無しにはこの一年の経験や楽しみも半分だったに違いない。本当にありがとう。 あと一年苦労もかけるだろうけど、一緒に楽しんでいこうね。

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<おまけ:日常化> 今全てが難なくこなせるという訳では全然無いのだが、多くのことが日常化している。 来た当初はこのブログでも綴っていたように  

  • 一日の寒暖の差が大きく、夏の陽射しの強い気候に戸惑う
  • ウォルマートやターゲットでは、その広さや商品数に驚く
  • 無茶苦茶な運転をする車、整備不良の車が走る、整備不良のフリーウエイを恐る恐る運転する (バーストしたタイヤなどが転がっていたりする。道路は継ぎはぎや凸凹が目立つ)
  • バンクオブアメリカDMV(陸運局)では、サービス品質のばらつきや対応の悪さに苛立つ
  • 米製の携帯電話や空調、換気扇などの製品に関しては、品質の悪さに嘆く😞

という日々だったのだが、今ではもうそれらが日常化してしまい、当たり前と思うようになってしまった。

日常化というのは自身がその環境に適応できたという意味では成長を意味し褒められるけど、また新たなスキーマで物事を見てしまうということも意味する。意識してアンテナ高く過ごさないと、日々の生活でまだまだ経験できるはずの多くの驚きや感動を見逃してしまう。気をつけていかないとね!おーし頑張るぞー💪